
10月24日にて5ヶ月満了。
4ヶ月が過ぎると、内視鏡痕周辺に常にあった癒着の剥がれによる痛みもだいぶ無くなり、トレーニング後に、いろいろな痛みを感じることも減った。
手術をしたと言うことを忘れている時間が多くなり、今までとは違った、“一気”に回復が進んだ感覚を得られる事が多くなった。
上半身の筋トレにも、おっかなびっくり取り組む必要は少なくなり、斜め懸垂は、ぶら下がりに近い加重を試しながら行えるようになった。
術後4ヶ月と9日目(10月5日)、簡単なクライミングを再開してみる。
腕が真上まで上がらないので、出来ないムーヴや、距離のあるデッドや足を残せない状態での動きは怖くて出来ないが、11Aまで10本登った。
その後中2日空けて、ボルダーを行ってみるが、最近の人工壁ボルダーの内容は距離とパワー系が多く、ボルダーを出来るようになるには可動域と、落ちてしまった筋力を戻してからでないと無理だと思った。
6級が限度(苦笑)だったので、ルートでトレーニングをする方が暫くは無難と判断。
現時点での可動域は、外旋が悪く50度、前に150度、横に100度といったところで、この先がなかなか広がらない…
可動域を戻してゆくなかで、これは私個人の感覚だけれど、とにかく“重大なミスのない範囲”でと言う条件付きで、多少の無理やオバーワークを経て、その時々の限界値を越えてきたように感じている。
可動域はまだまだ出ないけれど、その数字よりは出来ることは増えてるように、日々のトレーニングでは感じている。
トレーニング内容は攻めたやり方で、自分の感覚に自信と責任が持てない場合はやらない方が良いような内容ではあるが、自己責任の上で、私には効果的だと感じた。
そもそも、“治すこと”が目的ならば、私がやって来た内容までやる必要はない。
1分でも早くクライミング復帰を目指したい場合のやり方であり、ド・イレギュラー。
ロスをいやがった結果、大ロスにならないように常にドキドキと刺激的な毎日(笑)
初クライミング後はどんどん動きやすくなり、1回のクライミング時間に、10本までを限度として、10Aから徐々に上げていく戦法で、週2日から始め最大で週4日、3週間の間に9日間登った。
トータル90本登り、グレードは11Cまで登った。
その他には、基礎トレーニングとして、ランニング10キロと腹筋700回を週6日、ヨガ1時間30分を週6日、全身の筋トレを週2日続けた。
保持力維持のためのボール握りは登り始めたので終了。
クライミングの強度と日数が増やせるようになったら、基礎トレーニングは減らす方向でプランニング中。
今年は8月から天候不順が続き、岩場の状態が悪すぎることもあり、落ち着いて?(笑)リハビリクライミングに勤しめる事は天からの恵みか私の呪いか…(笑)
ここから6ヶ月の治療終了日までも引き続き、足ブラでぶら下がれることと、懸垂にチャレンジし、負荷に耐えれるようになったら、インドアからのボルダーを始めようと思っている。
《回想……》
手術前、そして術後に感じた痛みや固定を外したばかりの、日常生活にすら支障のある可動域の間には、私も当然、医師がクライミングを許可する6ヶ月満了までクライミングはおろかトレーニング的な運動も出来ないと思っていたし、それを守るつもりで日々を過ごしていた。
一番最初に始めたウォーキングも、その後に次々と加えていったトレーニングの数々も、そしてクライミングも、やりたいから始めたと言うよりは、自然に「できんじゃね!?」と言う感覚からスタートしてきた。
深く感じようとしながら身体の声を聞いていれば、自分の身体の事は、多分自分が一番解るんじゃないかと思っている。
組織の回復に“人類として”必要な時間には、決してやろうともやりたいとも思わなかった様々な事は、平均値、若しくは安全値より早く出来ることもあれば、それよりも遅いことも当然あるだろう…
私は、注意やアドバイスを良く聞き、日数を指折り数えながらも、その中で自分の感覚を一番に行動してきた。
そして、最近はちょっとやり過ぎで、二頭筋長刀腱の炎症による痛みが続くようになってもいるので、クライミングの頻度と強度は調整する必要ありと反省中。
今まで登れなかった日々を考えれば大抵の待ち時間は受け入れられる(笑)