2022年11月14日

とても長い文章ですが、皆はどうかんがえてるのかな?

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近年では、講習会で二子山に行く事が多くなりました。
生徒さん達のレベルも上がってきて、傾斜のある石灰岩エリアが楽しいようす。
二子山といえば、私自身のクライミングに大きな影響を与えてくれた大好きなエリア、そして日本の代表的なエリアでもあると思います。

西岳の再開拓後辺りから、過去にないくらいたくさんのクライマーが二子山に訪れているようで、岩場人気も高まってるんだなぁ、と感じました。
静かな時代の二子山を登ってきた身としては、少し戸惑いもあるのは否めないけれど、多くのクライマーが岩場に向かう事は良いことだと思っています。

でも、どうしても気になってしまうこと、
二子山をめぐる「協会」が発足した時から始まり、今でも、このままで良いのかな?と違和感を感じることがあります。
私自身も訪れることも多いエリア、それ以前にクライミングの世界で生きている身としては、一生懸命携わっている人達の、良き行いの部分への感謝もありますし、登れば、そんな方々が整えた環境を使わせていただく形になるので、伴う費用に対して、会費は払うべきと思うのですが、会員になることは見送っています。

違和感を引き起こした原因のひとつに、二子山にあるルートのグレード表記をフレンチにした事(弓状エリアは、今後するよう進んでいるそうです)、そしてもうひとつは、既存のルート内容を変えてしまったこと等です。

例えば、エアウェイと言うルートは、クラックラインにあり、ボルトレスでも登られた過去があるのに、ボルトを打ち足していたり…変えるならボルトを抜く(カムデバイスのみで登るようにする)方が、私には受け入れられます。
進化を遂げる時代のなかで、スタイルや精神的要素を後退させる事を受け入れるのは、私には容易ではないです。
元々のルート名を変えようとしていた話も聞いたことがありました。
これはロクスノに掲載される前に初登者との話し合いで元に戻し終わったようですが、当然のルールとか共通認識みたいなものが崩れているように感じ、不安な感情さえ湧いてきました。

会員を募集し協会を立ち上げたからといって、その中で決めたものを二子山の新しい事実にしてしまう事、公の場での意見交換や議論の場が少ないまま、二子山が変わってしまうことを私は受け入れ難く感じています。

時代の流れのなかで、グレード表記やグレードを変えることはあるかもしれない。
そしてそれは悪くはないかもしれない。
でも、元々あったものを変え、それをスタンダードにしたり、ルールや、古くから受け継がれてきたもの、日本のクライミング史に関わる部分を変えるとなれば、きちんとした流れのなかで行われるべきだと、私は思うのです。
ロクスノで書かれていたものは発表であり、問いかけや提案ではなかったと感じます。
組織を立ち上げたら、その中での合意があれば全て良しなのでしょうか?
意見を話し合えないまま、決定事項の連絡で進んでしまったという話も聞きました。

二子山の現状を知らない人もたくさんいると思います。
知らない人(知ろうとしない人)が悪い、と言うのはあまりにも乱暴な見方ではないかな?とも感じてしまいます。
もっと広い公の場で、パブリックコメントのような、ある程度の時間をかけた意見交換や議論があるべきなのでは?と思います。

そもそも何故フレンチなんだろう?と言う部分。
日本は、フリークライミングが始まった頃から、ずっとデシマルで表記してきました。
カラいとか、個別にはそれぞれいろんな意見や考えがあるとは思います。
けれど、それはそれとして、長きにわたり共通の認識として、デシマルでそのグレードとしてあったのに、ロクスノやHPに考えを載せたらオッケーと言うのはおかしいし、その事を問題視しない事が問題だと思ってしまいます。
西岳に新しく開拓されたルートにのみつけるならまだしも、祠エリアや弓状エリアの昔からあるルートまで、フレンチ表記に変えてしまっていたり、(弓状エリアは、これから変えて発表するという話が進んでいるようです)し、SNSでもこれから変わるだろうフレンチでの表記も見たり、聞いたこともあります。
そしてそのグレードをデシマルに換算したときに、元々のものと大きく変わってしまっていること、具体的にはほとんどのルートが、2〜3グレード、グレードアップしていることには、それはおかしいのでは?としか言いようがありません。
そしてそれが、カタルーニャ(スペイン)を基準にしているとも。
いや、待て待て、長さも質も、何をとってもそんなに易しくないし、違いすぎると私には感じます。
もちろん、感じ方はそれぞれ、といってしまえばおしまいですが、どうしちゃったの?としか言いようがありません。
何処にだって、あからさまに易しいルートはあります…でも、ものすごい違和感を感じるくらい違っていると私は思います。

生徒さんと話していても、古くから当たり前に認識されていたルートのグレードが違いすぎて、どのルートの事を言ってるのか解らなかったりします。
祠エリアのシリアルと言うルートの話になったとき、
私「えっ?11C?B?それは違うルートでは?」
生徒さん@「私、シリアルは11Cと聞きました」
私「10Dなはずだけど?」
生徒さんA「協会に入ってる友人からは11Bと聞きました」
生徒さんB「ロクスノに新しく載ってたフレンチグレードを換算すると11Bのはずです」「どれが本当なのですか?」
と話が混乱するばかり。

会員専用の裏トポみたいなものがあるような話も聞いたことがあるのですが、協会の存在すら知らない人だってたくさんいるだろうし、SNSやロクスノ、HP、そういう媒体に関わらず生きている人も、たくさんいると思います。
普通にお店などで手に入るトポを持って岩場に行く人の方が多いと思うし、そこに大きなズレがあったら、トポの意味がなくなってしまうし、同じエリアの同じルートのグレードが2つも違っていたら困っちゃいますよね?
グレードのみならず、延長されたルートが多数あったり、普通に手に入るトポとエリアが変わって、違う部分が多すぎたらトポの意味がないのではないかと思ってしまいます。

生徒さんや、他のクライマーと話している時、岩場にいるクライマーを見聞きしていても、多くの人が、取り付く前に、フレンチグレードをいちいちデシマルに換算して、やっとその難易度を理解しているようでしたし、まあ、これは、そのうち慣れ親しむのかもしれませんが、スライドして考えないで欲しいというのも、一般的には無理な話かと思います。
私は若い頃から今日まで、ヨーロッパ各国でも登ってきているので、フレンチグレードは身に付いているけど、それは、デシマルに換算して考える代物ではなくて、8A+は8A+と言う感覚ですが、ヨーロッパに行ったこともなく、それなりの経験がないクライマーには、その理解は難しいと思います。

さらに、グレードは、岩が欠けたとか特別なことがない限り、そう簡単に、協会の中で話し合った多数決で変えて良いものではないと言う、当たり前のルールはどこに行ってしまったんだろう?とも思います。
それをやり出したらある意味終わりでしょ?と。

整備と言う意味の中には、変えることは必要だったり、善策な場合があることも理解しています。
その背景に、現存する全ての開拓者に了解を得ている、と、聞いた事があるのですが、私の知っている範囲ではたった2人ですが、断ったと言う人、そのような連絡は来ていない、西岳の再開拓の事すら知らなかった、と言う事実があったことは不信感を高めてしまいました。
そして、皆は今のグレード(総じて高くなっている)ことを喜んでいる、とも聞いたことがありますが、皆って誰なの?とも。
私の聞いた範囲では、例えば「任侠道」は12Dのままであって欲しいと言っている人は何人もいたし、その意味は、「難しかったけれど、そういうものだと思って努力して登ってきたから、今さら8A(13B)といわれても嬉しくない」と言うものが多かった。
私からすれば、皆残念がっている、となります。

また、前のままで登りたい人はいるだろうし、私も西岳の「あきらめるな」は相方の名作でもり、トライしようかな、と思った矢先の出来事でもあったので、とても残念です。
「あきらめるな」は、昔から13Aで、難しいとも言われていたけれど、みんなその難しいルートに魅了されて努力と鍛練を重ねて登ってきたのだから、唐突に8B+(14A)とか言われても、「ほぇ?」としか言葉はでないです。
クライミングの上で数字は大切な要素のひとつではあるけれど、そんな形で自己最高グレードを更新したいクライマーっているのでしょうか?

他の岩場との整合性の無さにも違和感を感じます。
協会の提示する二子山のグレード感覚と、同じ石灰岩なのに、白妙や河又、障子岩等とはかなり違う感覚になってしまうと思います。

以前、西岳のあるエリアに講習で訪れた時、「私、まだ11Cも登れてないのに、7Bが登れた!7Bって12A/Bだよね!スゴい成長!嬉しい。12Bクライマーになれた!」と大騒ぎしてる人がいました。
その反面、同じルートをフラッシュした、私の生徒さんは「私は12Aをフラッシュ出来る実力はないはずなのに…本当はどれくらいなのですか?」と、素直に喜べずにいる人もいて、私は「数字はともかく、あなたが最後まで諦めず頑張って登りきれた事が素晴らしい、良い登りだった。喜んで良いんですよ」と声をかけました。
これって、グレードのスライドが適正であれば起こらない事なのでは?と思いました。
そのルートのグレードに関しては、私はグレードをつける上での標準的なサイズにも達しておらず、正しいとも思っていませんが、そういう部分を考慮したり、過去の経験値や今までの二子山のグレード感覚からスライドして考えると、11C辺りが妥当かな?と感じました。
客観的に判断する経験値がないクライマーが、信憑性の低い目安に喜んだり悲しんだりしている場を見ていると、提供する側は問題を感じて欲しいと思いました。

話は脱線しますが、やたら甘いグレードで経験の浅い人達をその気にさせているジムも同じで、本当の基準を知らないが故にその人達はただ素直に自分の力を信じます。
そして岩場や、他のジムに行って手痛い現実を知らされる…それは事故や揉め事を多くするでしょう。
そういうものを提供している側に意識があるのか、もう既にそれすらも解らなくなっているのか…
崩壊しかけ、意味をもたなくなりつつあるグレードは、たかがグレード、されど、クライミングの本質、向けるべきベクトルをも壊してしまう罪深い事だと思います。
大袈裟かもしれないけれど、今のクライミング界は少しおかしな方向へ向かっているように私は感じます。

私の間違っているところや認識不足な事があれば教えて欲しいとも思います。
摩擦は避けたいかもしれないけれど、考えること、知ること、そしてその中から自分の責任で何かを選ぶこと、信念をもつこと。
そういうことがなくなる世界が、私は何よりも怖いです。

皆さんはどう考えていますか?

posted by ユカジラ at 21:57| 日記