2017年10月11日

見た目よりずっと…

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現実主義なんです、よ。
わたくし(笑)

昔、ヒマラヤの高所で、低酸素で身体がヤバくなってくると“幻聴”や“幻覚”が起こったこともあった。

その状況は、人間が生き延びる為か、楽に死ねるように?か?解らんけど、脳内物質が出て、良くも悪くも“楽に幸せ”にしてくれる、“三途リバーの入口”と理解していた(笑)

人間って良くできてて、恐怖を感じれば、きたるべき闘いの後、助かる可能性に掛けて血を固める用意をする。

スッゲー!
スッゲー!
人間スッゲー!

それと同じで、ヒマラヤなんかの高所でのギリギリ感は、生存本能をかけた騙しあいが神々しい世界を見せたりしている訳で…

その神がかった世界観を美化し過ぎることはなかった。

本物以外のキレイな景色が見えちゃったり、大好きな人達の声が誘うように聞こえてきたり…(笑)

「ああ…私は今相当ヤバイんだなぁ…」と、低酸素のギリギリな状況の中でも、心からそのヤバさを理解しようとしたものです(笑)

同じ状況を、「神との対話」とか、「宇宙との融合」などと話してた人も居たけれど、私は至って現実主義でした(笑)

ロマンの欠片もないタイプ(笑)とも言うね。うん。

そして、最近はモノの考え方と言うか、発言も実に現実主義な自分を再認識している(笑)

肩の手術をして、みんなが励まし、心配してくれ、必ず「もとに戻れますよ」みたいな声をたくさんかけてくれ、その心遣いにはとても感謝している。

でも、私が
「可動域の障害が残りやすい手術をしたので100%元の可動域までは戻らない可能性が大きいんです。でもまあやれることは最大限頑張ります」と言うような話をすると、
「諦めないで頑張ってください」的な言葉が返ってきて、何となく変な感じだ(笑)

私は、「可動域の障害が残ることは、現実として受け入れながら、でも、人間の身体はそんな単純なものじゃないと信じているから、例えば障害が残っても元のレベルまで戻せる方法はある」
「努力しても、思うような可動域が戻らない可能性は客観的に受け入れながら、いちばんの目標は何があっても諦めない」
と言う意味なんだけど、殆どの人の受け取りかたは
「諦めない強さを失ってる」
「らしくない」
もしくはなんの確証もなくても、ちょー前向き風な発言、
「絶対治ります!」と言う言葉を期待してるみたいで、なんかヤ(笑)

あまりにも不確定要素の多い部分に何の“勝算”も見いだしていないのに、ただ感情で「絶対治す!」っつてもねえ…(笑)

何かを「出来る」とか、「やる」と、言うのは簡単。
言うのは“無料(ただ)”みたいに、軽々しく口にすることにとてに抵抗を感じる。

私が古い人間だからなのだろうか?
そうだね、きっと。うん。(笑)


クライミングでも、割りと見かける光景だけど、とんでもなくかけ離れた難易度や内容のルートに、“やるのはただ”的に取り付いている人を見ると、私は、絶対的な不快感を感じる。

いつでも、どんなモノや事にも、誰が決めたわけでもないし、個人の自由だとしても…

それ相応の“資格”というか、“暗黙の中にある適正”をもって挑むべきだと、私は考える。
“敬意”をもって挑むべきだと思う。

やれもしないことを、“ノリ”で手をつけ、やった気になって良しとする事は、諦めてない”ポーズ”にしかならない。

やるなら死ぬ気でやれよ、と。

現実的な事から目を逸らさないで、客観的に受け入れた中で、“諦めない”為に何をしていくか、だと思っている。

「私は可動域の障害が残ると思います」と、現実なので言うけれど、ネガティブな意味ではない。

「どうにもならないことは人生にたくさんある」

「ないもの」も。

「今の私に出来る事はなんだろう」

そして、そこから

「何が出来るのか」。

「諦めない力」と、「信じる力」が実を結んだ先に「叶う」になるんじゃないかと…(笑)

私は見た目と違って現実主義。
とても面白くないヤツなんです(笑)

そして、毎日毎日…
攻めながらもドキドキと不安をなんとかやり過ごしています。
posted by ユカジラ at 21:32| 日記