2021年06月05日

同感です

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ROCK & SNOWの最新刊(092)、とても大切なはずなのに、どうして誰も何も触れてこないんだろう!?と、最近、富に思っていた事が書かれていて「おっ!?」となった。


一部では、それを話題にすることは、“カッコ悪い”とでも言いたげなように、“はぐらかす”ようなまとめられ方で、話が続かなかったり、いろんな意味で話題にしてはいけないような雰囲気も無きにしもあらず…で、違和感しかなかった。


そう、「グレード」のこと。


そこを語ろうとすれば「永遠に答えの出ない部分」に「こだわる」人間扱いされかねないのもヤレヤレ…┐(´д`)┌っう感じだったけど、やっぱそこ大事だよね!?、と。



“editors note”で、S君が書いてた文章…

ホントにその通りだと思いました。

やっぱ、手練れな人は違うねぇ(笑)


以下抜粋ですが、こんな感じです。


【たかがグレード…されどグレード。グレードは年代や地域によって甘くなったり、辛くなったり。…またインドアだとお客さんのニーズに合わせて甘く(?)つけるジムがある一方、うちは辛めで、と言うところもあるのでやはり全然違うこともあります。こうなると訳がわからず…混乱するばかり…統一は無理でもひと昔前にもどしてほしい】と。


グレードは、ルートに取り付く目安なのに、それがあまりにも目安にならなかったら、なんのためにあるんだ!?と思うのは普通なことだよね。


この数年でますます酷く、傍若無人になりつつある「グレード感」は、「崩壊」って言っても過言ではないような気がする。


やっぱり、そろそろ…ちゃんと考えた方が良いんじゃないかと、もうあとは死ぬ身の老人が言うのもナンですが、みんなはどう思っているのだろう?とても気になる。


時代?

基準がこんなにもバラバラで、それぞれの勝手な感覚で“OK”なのが“今”で…それでいいのかなぁ?

私は違うと思うけど。


少し前までの感覚だと、グレードは、日本人の謙虚さが“らしい”くらい際立って、おおむね“辛め”一本だったけど、最近は、おかしいくらい“甘”かったり、同じ岩場や同じジムでもその時々(ルートの出来た時期や、仲間内だけの見解や、ジムだとセット変え毎に)、2〜3グレードも違うとなると、そもそものグレードの意味のひとつも語りたくもなると言うもの…顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗)


そういうのも(ルートや課題)あってもいいよね〜、ありあり!みたいな思いやりや比護は、グレード感覚を狂わせる最大の要因な気がするのは私だけだろうか?


ちゃんとしたグレーディングが出来ない…

登れても、強くても、経験が浅い場合などは特に…ズレ過ぎてる時には“伝える”ことは必要だと思う。


“考える”ことや、“たちかえる”きっかけから身に付くことはあるし、そういう時間や経験は、無いよりもあった方が良いに決まってる。

と、私は思う。


まあ、それ、経験の浅いクライマーやセッターに限ったことじゃないし、ベテラン過ぎるぐらいベテランでも、何か意図があるのか?どうしちゃったんだろう??と、心配してしまうくらい、おかしい(間違ってる、と言いたくたくなるような)グレーディングを平気でする人が増えてるのは事実。

それが不気味。


「グレード崩壊」。


今はもう、それがある意味当たり前で、その中で各自が各自の経験値の中で受け入れたり変換し、消化しながら登ってるんだと思うけど…


良いのか!?

良いわけない。

よね?

どうなんだろ?


“なあなあ”がクールで、“こだわらない”ふりがクール。

もうそれやめなかな?とも思う。


私も活動のブログに、いろんな意味での目安や、そのルートや課題のプロフィールとして、グレードも明記してたけど、最近では、グレードが意味を持たないモノが多くなってきてる気がするし、書くことを躊躇うしかないような恥ずかしくなるようなモノも…顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗)


4級しかない初段登っても嬉しくないわぃ


例えば、純粋に努力の甲斐あって成長したと思える目安として、グレードを感じたいときにも、それが真実なのか嘘なのか…ちょっとした日々のヨロコビとして喜んで良いのか…マジわからなくなってしまっている顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗)


まあ、この歳になると、クライミングの価値は己の中にあるし、それ以外の多様な部分から得られる価値観は多いので、個人的には問題はない。


が、例えば、仕事の上で生徒さんたちと話すときや、一般的な話の中では、なかなかホントにヤレヤレ…と、ゲンナリすることもしばしばだ。


数字以外でいろいろな判断が出来ない、まだ経歴の浅いクライマーが、悪気もなく、崩壊したグレードに喜び、時には傷つき、勘違いしてる姿を見ると、ナンとも言えない気持ちにはなる。


しかも、それを信じ過ぎて痛い目に遭う事にならないか、自分に対して不要な諦めでクライミングが嫌いになってしまわないか?と、余計な心配さえしてしまいます顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗)


日本には日本の、先人たちが築いてきたクライミングの文化がある。

時代の流れも解る。

端境期があることも。


でもなぁ…


少しは、“統一しよう”という“思い”と、“努力”があっても良いような気がしてなりません。


“年寄りの戯れ言”と思ってたこんな気持ち…

S君の短い編集後記の中に、墓を前に考えさせられる事がたくさんありました。
posted by ユカジラ at 20:41| 日記