2018年01月17日

立ち止まり考える時間

約半年、クライミングしてた時間から離れる機会があったことで、感じたことはたくさんある。

見てても見ないようにしていたこと、見えてなかったもの。

いろいろ(笑)

自身のクライミングに関しては、良かったことも悪かったことも有り難く受け止めて消化吸収したり、咀嚼中だったりで、その効力を楽しんでいる(笑)

もう9割8分元に戻って登ってる。
絶好調!
いや、前より強くなるる予感すらあるのが、我が事ながらアホかとも思う。この歳で、と。

そんな時間を過ごしながらも、今回、感じたことに、ルートセッターの仕事とグレード…がある。

私は怪我の前辺りから、少しずつセットの仕事は受けないようにしていて、今回の手術を期に、まあ、いろんな理由があって、仕事としてのセットはやっていない。

そういう部分からも離れてみて、改めて感じることもある。

それは…

太古の時代(笑)から繰り返されてることでもあるし、論じることに意味が無いことも、長いクライミング経験の中で解ってはいるけれど、最近の加速度的な変化と、それに対する、設定する側と登る側の開き直り?(笑)にはビックリしてる。

ぶっちゃけ私は、自身の成長やトレーニングになるものやことを選ぶことも出来るし、過去から現在までに繰り返されてきた様々な歴史も知っているので、いろいろと、本当のところは「どうでも良いや」と言う感じなんだけど、何が基準で、何が合ってるのか…格になる?なっていく?人達が、大切な部分を解らなくなって来てるんだろうなぁ、と感じた。

“絶対音感”ならぬ、“絶対グレード感”(笑)的な、幅はあっても、この難易度にはここまでと言うような、保持感だったり、距離感だったり、ムーヴだったり。

もちろん、比較的合ってると思われるジムも多いけど、軽く2グレード位を平気でぶっ飛ばしてるジムが多いのには違和感を感じる。

それで良いと言い切り、考えることも立ち止まることもせずに進む気満々(笑)な人達にも。

それが合ってる、我らが神!と思い込んでる世代がルートセットをして、何が普通か知らないクライミングを初めて間もない世代が、そういうものだとクライミングを知った気になって引き継いでいく…笑っちゃうような現象。

つい10年前には、不人気だった岩場が大人気なのは、岩場の方が易しい(ジムでの難易度と比べるとビックリするような成果が出せるから)と言う不純な理由が、表面的には、外は気持ちいいとか、岩登りは外がクール!みたいに、皆さん綺麗にまとめてるけど、岩場は“クソ簡単”とかのたまって、テストピースと言われているグレードにまでケチをつけて、公でないにしろグレードダウンしたりしてる、歴史に敬意を評さない言動…

ホントにもう、仕方ないとはいえ、クライミングがクライミングとして積み上げてきた歴史や文化が、それを知りもしない世代のノリに踏み荒らされているのは哀しいと感じる。

岩はそういう人達がまだ生まれてない頃からそこにあり、先人たちが用意されてない限界の壁を越えながら、今の時代へ繋げてきた訳だし、今の若い世代がひとっ飛びにそこに辿り着けるのは、上限が用意されているからと言うことを知っているのかな?と。

まあ、全ては個人の価値観なので、“好きで良い”、が答えだし、数字はどうでもいいと言う考えも正当。悪くはない。

私自身は、出来ないことを出来るようにしていく過程に意味を感じるので、そういう瞬間を与えてくれるモノなら何でも良いとは思っているし、課題は難しい方がいいし、それが自身の向上、日本人クライマー全体の向上に役立ってるのは、実感としても解るし有難いとも思ってる。

しかし、易しいグレードもエゴの塊のような内容ばかりで構成されていて、自分が簡単に出来るからと、そのグレードの範囲を超えた保持、距離、動きで設定していることに、プロ(お金をもらっていると言う意味で)なら恥ずかしいと思ってほしい気も少しする(笑)


もちろんそういう内容のモノがあっても良いとは思うけど、どのレベルでも、そこからレベルアップしてゆく上で、学んだり鍛えたりする為に段階があるはずなんだけど、その辺が上手く設定出来ないセッターが多い気がする。
(私が知ってるホンマもんのプロ達は違います)

はっきりいって、易しいものほど設定が難しく気を使うわりに、楽しみ、自分のとってギリギリな動きや強度のセットをするよりは、楽しくない。

でも、仕事は、楽しんでやった方が良いけれど遊びじゃない。

こういう当たり前のことがいまいち身に付いてない人が多いのに、一人前なつもりな人が多くてどうなんだろう、と感じる。

セットをしている時、登りに来たお客さんよりセットをしている人を優遇したり、告知も無しにエリアをクローズしたりで、不快、そしてわざわざ来たのに目的の事が出来ず、やむ無く、登らずに帰る事になった話も最近聞いた。

多くの場合、他の壁で登るとか、お客さんの方でも配慮してスムーズに行ってることも多いし、セットをしてくれる人がいて質の良い課題や内容から、多くの人が向上したり楽しめたり…
もちろんセットも仕事なので、労働がキツいのは当たり前だけど、セットをする側への感謝の気持ちも忘れてはいけないけれど、本質的には裏方の仕事だと言うこと…

何故か、時代なのか、セッターが登る側よりも偉いと勘違いしているようなモノを感じるのは私だけではないと思う。

仕事としてやるならば、自分が楽しい、とか、自分が作ってやってるんだとか、私の課題は作品だ←これ良く聞くけど、○ッ!って思うね、私は(笑)
とか、違うと思う。

登る側が主であると言うこと、もう一度書くけど、仕事としてやるならば、そうあるべきだと改めて思う。

最近のジムでのクライミングは、すでに本来のクライミングからはかけ離れたものなので、全く違うスポーツ”として捉え、私の思うところのクライミングに役に立つ部分で関わるようにしてるから、もうどうでも良いと言えばそれまでなんだけど、たかだか数年の、とても狭い経験値の中、自分で自分に酔えちゃうような浅はかさでクライミングを語りすぎると足を掬われますよ、と、ちょっと言いたい(笑)

なにかを始め、その道のプロになると言うことは簡単ではない。

でも、やる気のある人間ならきっと到達できる。

そんな中に、プライドよりも大切な部分は何か考える時間も必要だと思う。

謙虚であること。

私はそう感じています。
posted by ユカジラ at 11:08| 日記