2017年02月11日

ルールやマナー、その本質ってどこにある?

豊田でマーキングが禁止になったと言う話を聞いた。

禁止って言うのもすごいなぁ、と思っていたら、自粛に変わってた(笑)


誰かに何かを禁止するって相当な事だと思うし、それがルール的なものなら、なおさら、そうそう出来るものでも無い気もしてたので(笑)

最近、クライミング界の中で、ニュアンスとしては “そういう考え方もあるので、提案としてどうでしょう…賛同するかたはそんなやり方もありますよ” 的な入りなんだと思うけど、ルールがどんどん生まれて、なんだかなぁ…って感じだ。

あ、ちなみに今回の豊田での事を言ってるのではなく、ひとつの考え方として。

何かルールやマナー的な事が取り立たされると、言葉や解釈は一人歩きして、絶対ダメ、禁止、ノーモア何々!(笑)みたいになることに、私は、とても違和感を感じる。

今回のマーキングもそんな感じになりそう?

私は大きな声で言ったら反感買いそうだけど(笑)マーキング容認派。

今までも必要に応じてしてたし、これからもすると思う。

理由はシンプル。

別にあっても無くても、最終的には登ることに大した問題はないから。

もちろん、常識の範囲でと言う事はいちいち言わなくても大人なら解るはずで、揚げ足取りな突っ込みや物言いは無しでの話。

登ることより環境保護を訴えるなら、まずクライミングやめてから言おうね(笑)小さな一歩もやがて美しい岩場作りには役立つかもしれないし(笑)

と、茶化すのはやめて…(笑)

私がクライミング始めた頃は、そうやって(マーキング)精度を上げるトライをしてるひとに、そんなにギリギリで難しいことをトライしている事に、善い悪いなんて言う人居なかった。

ひとつの方法として「へー」って感じで見ていた。

長いことマーキングの必要性を感じなかった自分も、精度を上げるために小さなマーキングを入れることの良さも知り時々使うようになった。

今では、寄る年波で、夕暮れやルーフの奥の暗いところにあるスタンス等は、もう目が悪くなりすぎて、マーキング無しでは見えない(苦笑)ので、前よりも使うことが多くなった。


マーキング、程度ややり方に対する意志と信念があれば禁止にするようなことでもないと私は思う。

自分と入れ方の違うマーキングで、ホールドを取り損なったこともあるし、それを入れたひとには意味があるけど、自分と意図の違うマーキングに誘われてムーヴの組みたてをミスった事もある。

でも、そのときに、そのマーキングのせいで自分が登れなかったとか、こんなものがあるからどうたらこうたらとか、思ったこと無い。

邪魔なら消せばいいし、無い状態を望む人の権利、と言うひとがいるかもだけど、その逆の考え方を否定する理由は絶対的な理由にはならないように思う。

よく言われてる、マスターの権利を奪われるからヌンチャク残すな、とかも…本気でやりたいなら誰かに一旦外してもらうとかだって、方法はいくらでもあるのが現実だし、かかってない方がよりチャレンジングだけど、多数の人が訪れる岩場だもの、思うように行かないことなんてあって当たり前。

そして、そんな目の前の事だけに囚われ無くても、クライミングの場で自分のいろんなチャレンジを実践する機会は沢山あるはず。

少なくとも、マスターでいったら登れてなかった、とか、マスターでも大差なかった、くらいは、それをそこまで望むレベルならば本人がいちばん良くわかってるはずで、怒り心頭になってまで論争する必要があるのかなぁ?とも思う。


話をマーキングに戻す(笑)

何となく、岩をきれいに!的な風潮が、マーキングに反対することを正論に感じさせてるけど、クライミングで使うチョーク自体…(爆笑)どんなに掃除をして、そこそこ綺麗になったって、チョークを使ってる時点で大差ないっちゃ大差ない。

もちろん程度の差はある。

綺麗に掃除すればOKてのも偽善っぽい(笑)

ヒマラヤ登山をやっていた時代、山を汚すだとか、ゴミがどうのとか…どこの世界でも同じような話は起こってきてるけど、そしてここでも程度や常識の範囲はもちろんある…が、そんなに山や岩をあるがままの状態で保ちたいと言うことに心血注ぐ思いがあるなら、先程も書いたが、一人からでも行動に移すべきで、登山や岩登り止めたら良いのに、と、私は思う。

私は、自然に敬意は払って、でも、登山も岩登りも本気で好きなので、自分なりに大切に付き合いながら登ってきた。

ヒマラヤ登山では、自らの能力を上げ、よりシンプルな登り方を目指し実践することで、ゴミ問題や自然に対するインパクトは最小限で押さえてきたし、ゴミを増やさないために、持ち帰るとか…そこじゃなくて、少人数、アルパインスタイル、無酸素…こういったスタイルをチョイスする、自分を鍛えることで、よりシンプルで物資に頼りすぎない登山を目指し実践すればいい。

なんでもかんでも、あれはダメこれもダメ、ルール!ルール!と、禁止したり、決まりを作れば総てが良くなるものでもないんじゃないだろうか?って思う。

ルールに乗っかってれば安心、安全と言う安易さが、人間力を低下させてる気もする。

本質を見抜く為に考える力、根本からの在り方、これを沢山のひとが持ってれば、問題はそう多く起こらないようにも思う。

私もいつもいろんな事に迷うし考えるし、間違える事も沢山あると思う。
いや、むしろ間違えてばかりかも(笑)


でも、信念を持って“事”には向かうようにはしている。

マーキングの経験では、沢山あってワケわからなくなってるマーキング状況もよくある。

日本では、過剰にマナーを唱うので、そういうことも少ないようだけど…海外のルート上では、掃除すら誰もしてないのでホールドが固形チョークみたいになってることは普通だし(掃除なんて概念、無い世界もある)マーキングも、沢山ある中から、自分にはこれが良いな、とか、この主張してるマーキングの1センチ左が私のベスト位置…等と言う感じに選んで頭を使ってやるしかない場合も多いからそうしてたし、それで困ることもそうなかった。

もちろん日本には日本の文化もあるので、必要なこと、良いことは行う、これは悪くないけど、何故そうすべきか、本質を考えたり、自分の考え方や倫理観、ひいては人生哲学(笑)と言うくらいまで考えてモノを言ってるかというとそうでもなく、ただ何となくみんなそう言ってるから…的な流れで、いつの間にか経験値や実態の無い空っぽの正義や理論で大騒ぎしてる感じがするのは私だけだろうか?

総てに対して、私も多くの人と同じく“強要”はしない。

でも、“マーキングはしてはいけない”と、“何がなんでも掃除はしなければならない”の強要はしたことないし、私も状況によってはやらないことが多い。

いや、正直なところ、状況によっては、極めて時々やるくらいだ。

早めに謝っておきます、すみません(笑)

良くごっちゃにされてるけど、設定以外のプリクリやルート上にチータスティックをぶらぶらぶ〜らぶら持っていくことは死んでもやらないし、私の生徒達には、クライミングと言う分化を伝えながら、強要はしないけど、考えるチャンスとどうするか選ぶ事が出来るくらいの話はする。

ルールやマナー、その意味やいちばん大切なことを履き違えてるように感じる今日この頃。
posted by ユカジラ at 00:07| 日記